ご機嫌いかがでしょうか。当サイトのウェブマスターです。
弊社の理念とともに、社長が社内報の表題としても引用している「お役立ち」と「成長」という文言があります。
これは、弊社の会長がよく用いる「利他」という概念にも通じるものだと思います。
なんとなく理解はしているつもりでしたが、「成長」はともかく、10月より新事業年度が始まったこともあり、改めて「お役立ち」について自分なりに考えてみました。
お役立ちとは「かゆい所に手が届く」こと?
お役立ちとは、単純に考えれば「人様の役に立つ」という事だとは思いますが、では、具体的にはどのような事だろうか、と考えられたことはないでしょうか。
私自身の「お役立ち」という言葉の解釈の答えとしては、一言で表せば「かゆい所に手が届く」ことであり、「相手の問題解決をすること」である、という結論に至りました。
もちろん、百人百様、人それぞれの解釈があると思います。
「かゆい所に手が届く」とは、「相手が望んでいることを察し、細かな点まで気配りや配慮が行き届くこと。」です。
しかし、さらに突っ込んでいくと「相手の問題解決をすること」が必要になります。
私自身、会社で仕事をしている時に意識している言葉としては、「お役立ち」を「御用達(ごようたし)」や「ソリューション」という言葉に置き換えれば解りやすいかと思っています。
「御用達」とは、漫画のサザエさんに出てくる三河屋さんのサブちゃんのような「御用聞き(ごようきき)」でも、「宮内庁御用達」のご用達(ごようたつ)でもありません。
御用達(ごようたし)とは
サザエさんの三河屋さんの例が解りやすいと思いますが、ただ商品やサービスを選んでもらったり、注文品を届けるのはビジネスとしては至極当たり前の活動です。
しかし、物やサービスがあふれかえっている現在においては、ただ安いだけでも選ばれないでしょうし、品物が良いからと言って必ずしも選ばれる訳では無いかと思います。
選ぶ人にとって、価格だけではなく、何がしかの「付加価値」や対価に見合うだけの「意味付け」が必要です。
(もちろん、スーパーで売られている日配品のように、物によっては安さが優先されることは多いでしょうけど。)
つまり、単に商品やサービスを届けるだけでなく、その人に見合った価値のものに「あつらえる」ことが必要になってきます。
英語で言えば、「カスタマイズ」に近いものでしょうか。
よく、世界で一つだけ、という表現をしますが、その人だけに合った商品やサービスに「あつらえる」ことができないと、選ばれない、生き残れない時代です。
お役立ちはソリューションでもある!
よく、経営の三大資源として「人・物・金」と言われます。
実際にはそれだけでは経営は成り立たないのでしょうけど、ネット販売が隆盛の昨今。
人々の価値観も益々多様化しています。
例えば、アマゾンやアスクルは、ちょっと高いけど明日届く。
送料はかかるし、高いとは解っていても、あえて早さと利便性を重視する人も多いはずです。
また、有料セミナーなどですと、高いお金を払い、時間を使い、単なる知識やノウハウを得るのではなく、その講師がもたらす「情報」を得ることが目的の場合も多いことでしょう。
外食や旅行などでも、ありきたりの内容ではなく、そこでしか味わえない、そこでしかできない体験型のアクティビティやオプショナル・ツアーがもてはやされています。
昔から「提案営業」という言葉もありますが、私自身、IT業界にしばらく籍を置いた関係もあり、当時の業界(二十数年前ですが)では「ソリューション営業」という言葉がもてはやされていました。
ソリューションとは、まさしくお客様が抱えている問題を解決するための方法や考え方であり、もっと言えばシステムや仕組みの事です。
これこそ「お役立ち」であり、「お客様と一緒に問題解決すること」なのではないでしょうか。
そして「一緒に考えて、一緒に意思決定すること」こそが介護業界に限らず、これからの世の中にはますます求められていることではないのかと。
あとがき
長々と書いてしまいましたが、つい先日、弊社では「人間力を高める(☆URL☆)」という社外講師を招いての社内研修会がありました。
「お役立ち」が成立するには、その根底に人間力(人間性)が必要なことは言うまでもありません。
お客様にとっての問題を解決をするにあたっては、「介護の専門性」や「介護技術」も必要です。
加えて、介護業界に限らず「ノウハウ(知識)」や「経験」も必要でしょうし、「コミュニケーション能力」も求められます。
役職者や管理職になれば、「リーダーシップ」や「マネジメント」能力が問われますし、「決断力」や「責任感」も必要です。
そういう意味では様々な能力や経験が備わっており、なおかつ、それらのバランス感覚が優れていなければ成り立ちません。
人生、「無駄なことは何一つない」とか、「死ぬまで勉強」とも言われます。
かの孔子は、(前略)四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、(後略)と名言を残していますが、還暦を迎えた今でもなお、私自身は惑ってばかりです。
まだまだ稚拙というか、青い自分かな、と。
人生100年時代と言われるようになって久しいですが、実年齢を七掛け(3割引き)位で割り引て観てもらえるような時代にはならないものでしょうか?
(ウェブマスター)
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